三九郎(さんくろう)

鉄腕

2015年01月13日 00:09

 お正月の松飾やしめ縄、だるまを集めて焼く小正月の行事。
松本地域では『三九郎(さんくろう)』と呼ばれています。
『どんど焼き』『左義長』と同じと言えば分りやすいでしょうか。

三九郎は、現在、各町会の子ども会で、大人も手伝いながら行っていますが、もともとは子どもが取り仕切る行事。

松本地域では、宿場の街道筋で子どもたちが旅人を足止めしてお金をもらう悪戯的なものが流れではないかと言われていたり、道祖神信仰と結びついてお札を配ってお金をもらう風習が続く地域も。

ともかく、この炎で『繭玉』と呼ばれる柳の枝につるした団子をあぶって食べると一年間、無病息災で過ごせるといい、また、この日に書初めの失敗したものを燃やすと、灰が高く上がれば上がるほど、習字が上達するといわれています。


不思議なのは、この 『三九郎』という呼び名が、同じ長野県でも松本エリアしか通じないという点です。

もともと松本に住んでいる人は、『三九郎』が一般用語だと信じており、北信や南・東信に出て「サンクローって何それ」と聞かれてローカルな言葉だったことに気づき、びっくり。

『三九郎』の名前の由来には諸説ありますが、その中でも
初代松本藩主の石川数正の息子の石川康長の幼名が、「三九郎」だったことに由来する説は、三九郎と呼んでいる地域が松本藩に一致するので、かなり納得です。

徳川家の家臣、大久保長安が罰せられた時に、この長安の娘と石川康長の息子がいいなづけだったことで、康長は松本から大分へ改易となったとか。
その無念の思いや、魂を鎮めるために、彼の幼少名を呼ぶようになったのでは、という説です。


今では15日が成人の日ではなくなってしまったため、冬休みや役員さんの都合に合わせて1月上旬の週末に行う地域が多く、昼間に点火する地域もありますが、やはり三九郎の炎は、日が暮れる頃、夜空を焦がすような迫力ある姿が醍醐味。


参加するには、子ども達は、各町会の子ども会に参加していれば、松集めや組み立てから参加します。
また、回覧板でも、三九郎の松集めの協力のお便りが回ってくるかと思います。

新しく松本エリアに移り住んだり、たまたま三九郎イベント近くに観光に来た方は、着火日当日、参加すればOK.
(あ、団子は持参ですよ。最近はマシュマロや、酒のつまみでスルメをあぶる人もいます)

三九郎に点火してからも、炎がおき火になって団子を焼くのにちょうど良い火加減になるまでは炎を見守るだけですので、慌てなくても大丈夫です。

組み立てている現場に遭遇できたら、点火日時を聞くと良いでしょう。

ただし。
ものすごい煙に包まれ、火の粉も飛びますので、上等な服では参加しないように。いぶされて衣類が煙くさくなります。
炎で霜柱が緩み、足元が泥になりがちなので、長靴でのお出かけがおすすめです。




関連記事