2014年07月17日
深志3丁目★深志神社 天神祭
2014年に天満宮御鎮座400年を迎える深志神社。
松本城下、48ヶ町氏子の守り神であり、松本城歴代城主からも篤く敬われてきた神社です。
特徴的なのは、宮村宮と天満宮、御本殿が2つあること。
天満宮は菅原道真公(天神さま)ですから、受験生の合格祈願にも人気があります。
そして深志神社のお祭りといえば、
7月14・15日の八坂神社祭り(八坂さま)、
7月24・25日の例大祭(天神さま)
特に天神さまは、24日の宵祭りには、神輿(市重要文化財)と各町会の舞台(市重要有形民俗文化財)が引き出され、子供囃子を乗せながら、各地から神社へ向かうという、粋で華やかなお祭りです。
露店の数の多さも、松本市内1、2位を争う賑やかさだと思います。
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深志神社
松本市深志3丁目7‐43
八坂祭 7月14日(宵祭) 15日(本祭)
例大祭 7月24日(宵祭) 25日(本祭)
http://www.fukashi-tenjin.or.jp
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深志神社は、松本城の南西の守護神とされており、いくつかある守護神社の要の一つです。
由来やお祭など、もっと詳しく・・・
松本城下、48ヶ町氏子の守り神であり、松本城歴代城主からも篤く敬われてきた神社です。
特徴的なのは、宮村宮と天満宮、御本殿が2つあること。
天満宮は菅原道真公(天神さま)ですから、受験生の合格祈願にも人気があります。
そして深志神社のお祭りといえば、
7月14・15日の八坂神社祭り(八坂さま)、
7月24・25日の例大祭(天神さま)
特に天神さまは、24日の宵祭りには、神輿(市重要文化財)と各町会の舞台(市重要有形民俗文化財)が引き出され、子供囃子を乗せながら、各地から神社へ向かうという、粋で華やかなお祭りです。
露店の数の多さも、松本市内1、2位を争う賑やかさだと思います。
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深志神社
松本市深志3丁目7‐43
八坂祭 7月14日(宵祭) 15日(本祭)
例大祭 7月24日(宵祭) 25日(本祭)
http://www.fukashi-tenjin.or.jp
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深志神社は、松本城の南西の守護神とされており、いくつかある守護神社の要の一つです。
由来やお祭など、もっと詳しく・・・
ですが、まず、城好きな方用のご説明として、
2つある御本殿の宮村宮と天満宮の創祀は、信濃国守護・国司であった小笠原氏(のちに松本城主になります)の信仰にはじまります。
社伝によれば、宮村宮(宮村大明神)は、南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日、信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公が、丑寅(北東)にあたる、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿を造営し、祀られたそうです。
そして、永正元年(1504)。小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移る際に、これを産土神と崇敬して社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神としたのでした。
一方、天満宮は、また歴史が異なり、
同じく小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館であった井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていたものを、江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)になって、後裔である小笠原秀政公によって、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られましたとの事です。
そんなわけで、といってもだいぶ搔い摘んだ説明ですが、深志神社は、松本城とその城下町の守護神として、現代鎮護の神社として現在でも地域から敬われ、愛され続けています。
そして、深志神社といえば天神さま。
天神さまといえば、紹介したいのが、現在、市重要有形文化財となっている、18町会の舞台。(山車のこと。神社に引き込まれるのは16台)です。
平成に入り、各町会の舞台が修復作業が行われ、伝統と輝きをますます増した舞台は、宵祭に子供たちの太鼓を響かせながら、豪華絢爛に深志神社へと向かいます。
さらに驚くべきことは、この舞台が走る宵祭、市内は一切交通規制が行われていない、ということです。
どう舞台が走るかというと、もちろん町会の大人が引いているわけですから、スピードも遅く、しかし大きいので、車道を悠然と進行。
そして、車道を走っているのに、歩行者ということで、なぜか信号は歩行者信号に従う。。。
といった具合です。
車を運転する人にとっては、いたって迷惑な話かもしれませんが、毎年のことなので、みなさんうまく避けていってくれます。
基本、相当の天気でないかぎり、雨天決行で舞台は進みます。
境内に入ると、街だいこから、お囃子が変わり、境内にずらりと曳き込まれた16の舞台と2基の神輿は、豪華絢爛としか言いようがないほど、圧巻です。
この舞台は、2年に一度行われる、松本大歌舞伎の登城行列や、
10月の縄手 四柱神社の神道祭にも登場します。
各町会、誇りに満ちた舞台を、ぜひ間近で見てほしいです。
2つある御本殿の宮村宮と天満宮の創祀は、信濃国守護・国司であった小笠原氏(のちに松本城主になります)の信仰にはじまります。
社伝によれば、宮村宮(宮村大明神)は、南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日、信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公が、丑寅(北東)にあたる、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿を造営し、祀られたそうです。
そして、永正元年(1504)。小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移る際に、これを産土神と崇敬して社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神としたのでした。
一方、天満宮は、また歴史が異なり、
同じく小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館であった井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていたものを、江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)になって、後裔である小笠原秀政公によって、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られましたとの事です。
そんなわけで、といってもだいぶ搔い摘んだ説明ですが、深志神社は、松本城とその城下町の守護神として、現代鎮護の神社として現在でも地域から敬われ、愛され続けています。
そして、深志神社といえば天神さま。
天神さまといえば、紹介したいのが、現在、市重要有形文化財となっている、18町会の舞台。(山車のこと。神社に引き込まれるのは16台)です。
平成に入り、各町会の舞台が修復作業が行われ、伝統と輝きをますます増した舞台は、宵祭に子供たちの太鼓を響かせながら、豪華絢爛に深志神社へと向かいます。
さらに驚くべきことは、この舞台が走る宵祭、市内は一切交通規制が行われていない、ということです。
どう舞台が走るかというと、もちろん町会の大人が引いているわけですから、スピードも遅く、しかし大きいので、車道を悠然と進行。
そして、車道を走っているのに、歩行者ということで、なぜか信号は歩行者信号に従う。。。
といった具合です。
車を運転する人にとっては、いたって迷惑な話かもしれませんが、毎年のことなので、みなさんうまく避けていってくれます。
基本、相当の天気でないかぎり、雨天決行で舞台は進みます。
境内に入ると、街だいこから、お囃子が変わり、境内にずらりと曳き込まれた16の舞台と2基の神輿は、豪華絢爛としか言いようがないほど、圧巻です。
この舞台は、2年に一度行われる、松本大歌舞伎の登城行列や、
10月の縄手 四柱神社の神道祭にも登場します。
各町会、誇りに満ちた舞台を、ぜひ間近で見てほしいです。
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